真剣に家系探求

何かの縁で北海道に集まってきた祖先の歴史を少しづつ紐解いていきます。

高祖父・儀三郎

最近、田無の方々のお心遣いでいろいろ判明してきた新倉家。

 

明治16(1883)年に田無で質屋を営む新倉治兵衛の次男・儀三郎(高祖父:1866~1939)は、16歳で3歳年上の小榑村・平野いちと婚姻。

翌年、平野家当主・丑松が隠居のため、儀三郎は17歳にして家督相続。

明治34(1901)年、戸籍上ではこの年に北海道瀬棚村へ渡る。

北海道に渡った直後は新倉家への連絡はしていたものの、そのうち音信不通となる・・・。

瀬棚→利別→小清水と転々とし、60を過ぎて樺太・恵須取へ渡り、そこが波乱に富んだ人生の最後の地となりました。

 

次男・儀三郎が新倉家を離れた後、長男である儀三郎の兄が早世。三男が新倉の家督を継いだそうです。

 

その後の(治兵衛の曾孫にあたる)新倉さんからのご連絡によると、(大伯父にあたる)儀三郎のことは伝えられていたものの、儀三郎の姓が変わっていたことはご存知ありませんでした。

 

理由はわかりませんが、当時はあえて婿入りしていたことを伏せておかなくてはならない理由があったのでしょうか・・・?

家紋も新倉の紋を使用していたようですし・・・。

 

関連して気になることが。旧土地台帳によるとこの新倉家の地番には枝番があり、その枝番の最初の所有者には「新倉イチ」との記載が。

 

これはまさに儀三郎の妻・いちのことではなかろうかと想像するのです。

でも姓が戸籍と違う??

 

上記言い伝えを含め想像するに、儀三郎はもしかすると平野家に婿入り後も対外的には新倉のままだったのかもしれません。

(戸籍に儀三郎が失踪していた期間があったという記載があったので、その間に土地台帳が作製されたと考えると、妻・いちが所有者となっていてもおかしくない気もします。)

 

結婚当時、儀三郎夫妻はどこに住んでいたのかは判らないのですが、もしかすると新倉家(もしくは隣とか)に住んでいて、明治23(1890)年にその土地は治兵衛が買い取っているようですので、この時点で少なくとも田無を離れたのではないかと想像します。

 

北海道に渡った理由も含め、いろいろ想像が膨らむ謎多き高祖父です。

 

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画像は、儀三郎の孫である祖父が樺太から引き揚げた後、一家で苦労して成した畑です。