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真剣に家系探求

何かの縁で北海道に集まってきた祖先の歴史を少しづつ紐解いていきます。

またまた戸籍謄本

第2子予定日まであと10日!

しかし、それよりも前に生まれそうな兆候が出ており、おそらく来週中にも・・・といった予感でいっぱいの菊地家。

しかもそんな中で娘が高熱を出してしまい、もう菊地家エマージェンシー!といった様相です。

 

そんな状況だったので、娘を病院に連れて行ったりするために今日は仕事を休んでしまいました。

 

なんとか娘の熱は下がってきたので、このまままた上がらなければよいのですが。

おなかの中の赤ちゃんにも、「おねえちゃんが治るまで、もうちょっと我慢しててね!」と嫁が言い聞かせています。

 

話は変わりますが、たまに「ウチと関係があるかも?」といったコメントをいただきます。

もしかすると、お名前がわかればどこかで繋がりがあるかもしれませんが、

ブログ上ではなかなかおじいさんとかの名前を出すわけにはいきませんし。

 

こういった場合、メールをいただきたいと思います。

メールならば例えばおじいさんの名前を出しても大丈夫ですから。

 

とはいっても、プライバシーの問題が・・・。

私はギリギリ保守?しているつもりですが、ほかに同じようなことをネット上でなさっている方が少ないのはそういうことなのでしょうね・・・。

どんなトラブルが起こるかわからないですし・・・。

 

しかし、メールをいただいた結果、遠い親戚であることが判明した方もいらっしゃいます。

ぜひ、親戚の輪を広げていきたいです!

 

・・・と、そんな中、先週に引き続いてまた戸籍謄本取得に成功いたしました。

今回は、かなりわかりづらい条件でありました。

 

それは嫁の実家・山田家のもの。

嫁の高祖父にあたる山田菊松は、1975(明治8)年に青森県下北郡関根村(現:むつ市関根)で山田善四郎の養子・由蔵(旧姓:畑中)とその妻・みゑとの間に長男として生まれました。

しかし、由蔵は明治19年式戸籍作製以前に「離別」。舘という家から山田由蔵に嫁いでいたみゑはそのまま山田家に残ります。

1887(明治20)年、みゑは、山田家に婿入りという形で同い年の奥内村・鳥山丑松と再婚。この時点で菊松12歳。継父を迎える形になりました。

それから丑松とみゑ夫妻は3人の男子をもうけ、その一家5名は(届出上では)大正6年に北海道釧路郡鳥取村に移りました。実質、こちらが北海道における山田本家となったのだと思います。

 

菊松はというと1896(明治29)年に結婚。青森時代に1男1女をもうけ、(これも届出上では)大正7年に丑松一家と同じ地に転籍しています。

 

直系尊属である菊松の母・みゑですが、鳥取村以降の戸籍では丑松の戸籍におりました。

しかしながら、丑松の戸籍を請求したところ、すでに廃棄されてしまったとの回答が。

そこでみゑの鳥取村入植後の消息がわからなくなってしまいました。

せめて子孫の人が確認できれば、お話を聞くこともできるかもしれないのに・・・。

 

・・・と、ここまでが3年前の話でした。

 

しかし最近になって、この丑松・みゑ夫妻の3人の男子のうちの誰かの戸籍に入ってはいないかと推測。

3人のうち、上の2人は丑松の鳥取村転籍以前に分家しておりまして、そしたら一番下の男子である方の戸籍にいるのではないか?

・・・ということで、嫁の委任状を手に、丑松と同じ地番で3男の名前で請求を試みました。

すると、丑松は隠居して3男の戸籍に記載があったものの、みゑは記載が無いということが判りました。

廃棄されてしまった丑松の隠居前の戸籍にはきっと記載されていたでしょうが、その時点で死亡してしまっていたようです・・・。

 

結局、その3男の戸籍には直系尊属が記載されていないということで、チラ見させてもらっただけで取得はできませんでした。

この時点では、しゃあないなぁ・・・と思い、退散しました。

 

が、後でモヤモヤしたものが。丑松は直系じゃない・・・?

確かに、菊松が鳥取村に移った後の戸籍の父欄には「亡畑中由蔵」としか記載されておらず、丑松が継父だとはわかりません。

しかし青森時代の戸籍を見る限り、母の再婚相手ということは直系の扱いになるのではないだろうか?

 

そんな気持ちで、以前お世話になった広島の秋山さんによるホームページの掲示板に救いを求めました。

 

そこでアドバイスをいただき、背中を押してもらってから再度嫁の委任状を手にトライ!

結果、すったもんだがありましたが、最終的には「丑松は直系」という判断をいただき、前回取得できなかった戸籍を手にすることができました。

 

そこには、やはり高祖母の母・みゑの記載は何もありませんでした。ということは、少なくとも丑松が隠居した1923(大正12)年以前には亡くなっていたことが判明。みゑは1856(安政3)年の生まれなので、67歳よりも若くして世を去ったのです。

 

あとはこの戸籍に記載されている、子孫の方にお話を伺える人がいるかというところでしたが、一人だけ見たことがある名が!

それは、祖父の葬儀のときの香典帳にあるお名前でした。

その方は、1925(大正14)年の生まれですので、現在86歳。

香典帳によると市内にお住まいのようですので、近いうちにコンタクトを取って、みゑのことやほかにも何か口伝がないか伺いたいなぁと思っているところです。

お元気な方だとよいのですが・・・。

 

そして戸籍謄本の取り逃しが他にもないか、改めて確認みようという気になりました。

 

さらに、こんな本を図書館の相互貸借で取り寄せてもらいました。むつ市の関根小学校創立百周年記念誌(S51発行)です。

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明治9年創立という歴史ある学校。なにか山田家の手がかりがないかという期待を持って、くまなく読んでいるところです。