真剣に家系探求

何かの縁で北海道に集まってきた祖先の歴史を少しづつ紐解いていきます。

この家紋は・・・?

家系のインデックス

 

以前、宮城県の方から有り難くも地籍帳などの膨大な資料をいただいたのですが、未だに整理できないでいる私です。

 

その資料の中で、わざわざ蔵王町岩沼市の墓地(妻の祖先)まで赴いてくださり、さらに写真を撮ってきてくださったものがありました。

 

私のブログ内で見つけた名前や地名を基にお墓を探しだしてくださったのですが、とんでもなく苦労をおかけしたと思います。広大な墓地からお墓を探すのは非常に難しいことは、こないだ青森県むつ市で経験しましたから・・・。

 

しかも墓地は数多くありますし、その中からよくぞ見つけてくださった!!と感服するとともに、本当に感謝していたところです。

 

その方は、自分の探求が行き詰ったところで、力試しで私の家系を調べてくださったそうです。

現地になかなか赴けない身としては、なんという幸運でしょうか。

 

しかし、私はその方の力になれそうにはないので、歯がゆかったりします・・・。何か恩返ししたいとおもいつつ、日々が過ぎてゆきます。

 

・・・と、そんな中、初めてみる家紋がありました。

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これは、妻の祖母の祖母にあたる佐藤よの(1869~1937)の実家、岩沼市志賀の大久保家の紋です。

 

初めて見る紋ですが、なんという紋なのでしょう・・・?

 

何となく藤のような気はするのですけれど。あと、大久保の「大」でしょうかね?

北海道の太田本家からお手紙

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以前、突然電話をして、知っていることを手紙に書いて送るよ!と言われていた祖母の実家・太田家の方からついにお手紙をいただけました。

その方は祖母の兄・太田之男氏の長女にあたり、私の父から見るとイトコ。女満別の本家の隣町である美幌町にお住まいです。

しかし、その存在を今まで父ちゃんの口から聞いたことがありません。そもそもかつて網走に住んでいてクルマで30分圏内にこんなに親戚が居たのに、一度たりともお会いすることはありませんでした。何か因縁でもあるんだろうか・・・?なんだか怖くて直接聞けないけど。

お手紙の内容はといえば、曽祖父以降の太田家の系図、そして知る限り茨城県つくば市の総本家の系図を書いてくださいました。

これで知らない親戚がまた膨大に増加しました。存在を確認できたハトコも14人! 私には目標があり、せめてハトコには全員会いたいっ!と目論んでいるんですが、またこれでハードルが急上昇です。

そして、どうやら茨城の本家筋には静岡県沼津で年代も不明ですが、どこかの高校の校長を務めた人物がいらっしゃるそうです。 その名は「太田藤一郎」氏。

はっきりとどういう関係かはわかっていないのですけど。 近いうちに美幌にお邪魔して、もっと詳しいお話を聞いてみたいなぁ。

下の画像は、夏に太田家を訪れた際に見せていただいた曽祖父の名刺。 

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肩書きが書いてあるものの良くわかりません。しかしこういった当時のモノを見ると、会うことのできなかった曽祖父への色々な思いがこみ上げてきます。一体どんな人だったんだろう・・・。

ありがとう10万カウント(≡^∇^≡)

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このブログを始めて約4年半。

ついにカウンターが6ケタになりました~~(‐^▽^‐)パフォパフォ

 

こんななかなか需要のないブログですが、

ここまでやってくられたのも、

ブログを見て連絡をくださった縁戚の方々、

資料提供をいただいた皆様、

励ましのお言葉をかけてくださった心優しい皆様のおかげでございます。

 

これからも長い人生、のんびりと少しずつ家系を解明していきたいと思っております。

ただ、各系統の長老筋の方々がご存命なうちに一通りコンタクトは取っていきたいですね。

 

ちなみに先日の観楓会の際に訪れた江別市の北海道立図書館。

札幌駅から不慣れな乗り換えを無事に済ませ、やっと最寄りの大麻駅にたどり着いたら結構な雨降り。

ずぶぬれになりながらやっと到着!

 

思ったよりしょぼくてこじんまりとしててびっくりしました。

これなら釧路の図書館のほうが立派かも・・・。

 

いやいや、大事なのは所蔵されている史料です。

 

確かに旧い貴重な史料が山ほどありました。

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左、昭和14年発行の落部郷土史。オール手書き!

右、昭和9年発行の鳥取村五十年史。

 

しかし、だからといって手がかりがあるかといえばそうではありませんでした・・・。

6冊ほど読み漁りましたが手がかりは何も得られずじまい。

ちょっと期待しすぎた感が・・・。

 

気を取り直して、また違うアプローチで調査を試みてみようo(^-^)o

 

それでは、これからもこの拙いブログをよろしくおねがいします!

観楓会のついでに

明日、職場の観楓会で札幌に赴きます!

朝7:39のスーパーおおぞらに乗り、昼に札幌着。

そこから隣の江別市にある大麻駅まで。

目的は北海道立図書館です。

釧路の図書館にはない地方史料がありそうなので、時間の許す限り古書と闘ってきます。

そして18時にはすすきのに行かなくてはなりません。

私は下戸なので、二次会後は夜の街には繰り出さず、すすきのにあるデジタルバッティングセンターに行ってみようと思ってます。。。

健全!

下北半島に渡った!②

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前回のつづき・・・。

 

高梨を後にし田名部へ向かったのですが、せっかく青森まで来て墓地ばかりではつまらないだろうと思い、市街地で妻と娘を降ろしました。

私と1歳の息子だけで杉山家のお墓がある菩提寺円通寺へ向かいます。

 

この情報はかつてお手紙をいただいた中に記載されていたものです。

 

ナビをセットし、いざ円通寺へ向かおうというところ、電話が鳴りました。

電話のお相手は山田本家の次男の方でした。

私たちがむつ市内に来ていると聞いて、「せっかくだから・・・」と、電話をくださったそうです。

 

目的地の近く、田名部の金谷に住んでいらっしゃるようで、「ひとまず杉山家のお墓参りを済ませてから伺います」と返事をし、再び円通寺へ。

 

ナビの通り向かうと、北海道では考えられない細い道を案内された挙句、なんかあいまいな場所で「目的地周辺です。おつかれさまでした。ポーン」と案内が終了してしまいました。

周辺をしばらく迷いつつ見回していくと、おぉ!ついにお寺がありました。

 

円通寺は恐山の管理もしているお寺。大きなスケールのお寺を想像していましたが、なんかこじんまりとしています。

しかしながら墓地もありましたので、何の疑いもせずに、眠ってしまった息子を抱っこしながら墓地を探索します。

 

しばらく探していると、杉山と書かれたお墓を1基見つけました。家紋も聞いていたのと同じ「丸に三つ柏」です。

しかし戒名が書かれているのみで、何も得ることはできませんでした。

 

「あぁ、何もわからなかったなぁ」と徒労感を感じながら市街地へ向かうと、なんか川の向こうに膨大な敷地の墓地とお寺らしき建物があります。

「え?もしかして今見てたとこって違うお寺??」とあわててケータイで地図を見てみると、さっき行ったところは「善宗寺」というお寺で、この膨大な敷地のほうが円通寺じゃないですか!

 

「やべぇ!ロスった!」もう結構な時間が流れています。

 

時間はもう午後3時半。妻と娘をこの見ず知らずの街に降ろしてから1時間経過しています。

さらにこの広大な円通寺に500基くらいあるお墓から、杉山家の1基を探すのはかなり時間がかかりそうです・・・。

 

でももう考えているヒマはありません。まだまだ深い眠りについている息子を抱っこしてダッシュ

付近を歩いている女子高生に不審な目で見られながら、一心不乱に「杉山家」の文字を探します。

 

そしたら結構あるんですよね、同姓が。墓碑もチラチラ見ながら探し回りますが、なかなか見つからない・・・。

 

1時間近く経ち、もう諦めようと決めたとき、とつぜん息子が目を覚まして「あ~っあ~っ」と向こうを指さしました。

 

そちらに行ってみると・・・!

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あった~~~~!!!!

すげぇ!これってまさに息子と血のつながった祖先のお導き!血のつながってない私だけだったらきっと見つからなかった!

 

そこには真新しい墓石と、奥に5基の旧い墓石が鎮座していました。

残念ながら旧い墓石の文字は読み取るのが困難な状態。色々なアングル、フラッシュの有無で可能な限り写真を撮ってきましたが、やっぱり読み取れませんでした。残念。。。

しかし、墓碑に戸籍謄本よりも1世代遡った名前を発見。1850(嘉永3)年に没している「杉山元右エ門」。年代から言って、現在判明している最古の祖先「杉山治郎左衛門」の父と推測されます。

それがわかっただけでも満足!

 

息子とともにお参りをして急いで市街地へ戻り、妻と娘を拾い、今度は金谷の山田家へ向かいます。

山田さんは道路で待っていてくれていました。

 

1時間ばかり世間話をし、山田さんが知る限りをまとめてくださっていた資料をいただきました。

突然の訪問となってしまいましたが、温かく迎えてくださった山田さん。ありがとうございました。

 

そういえば訛りで話が通じるかが不安だったんですが、むつの人たちはあんまり訛ってないですね。ちょっとアクセントが違うけど。

 

その後、むつ市内の「マエダ本店」という大きなスーパーで晩飯の買い出しとおみやげを少し買い、少し南下して横浜町の宿泊先へ向かいます。

むつ市内のホテルは全然空きが無かったので。

 

宿泊は「ペンション風の谷」。その離れのコテージを丸々お借りしました。

子どもたちは青森ではここが一番楽しかったそうです。

離れなので、なんぼ騒いでも大丈夫でしたし。

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私もこういったところに宿泊するのは初めてでしたが、非常に楽しく過ごせました。

 

翌日は横浜の道の駅に行っておみやげを探し、さらにむつに戻って下北駅付近でおみやげを探します。

 

そして最終目的地、グネグネの酔いそうな道を通り、秋詣のお祭り最中である恐山へ。 

夏祭りと秋詣の期間限定!イタコが居ました!

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もちろん口寄せには興味がありましたが、この行列だとどれほど待つか想像もつかないので、今回は見送りです。

 

すこしだけ地獄に足を踏み入れましたが、時間が来たので戻ることにします。

 

途中、大畑のサークルK(北海道にはない)で昼食を買い、慌てて大間に戻ります。

レンタカーの返却時間である午後1時半になんとか間に合いました。

 

そしてまた揺れるのかなぁ・・・という不安を抱えつつフェリーに乗り込みます。

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帰りは思ったよりもぜんぜん揺れませんでした。来た時はずいぶんと波が荒れてたんですね。

 

きれいな景色を眺めながら、いつもこんなに揺れないんだったらいいのになぁ・・・と。

 

これにて数々の収穫と、現地の空気を感じた下北の旅は終了!

 

次回は果たしていつだろうか・・・。

下北半島に渡った!①

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使ってなかった残り3日の夏休みを、こないだの体育の日の3連休に絡めて6連休に。

目的は実家の函館に帰ることと、青森県下北半島を訪れることでした。

 

下北は、妻の実家である山田家が1905(明治38)年に釧路に入植する以前に居た地。

ずっと行きたいと思いながらなかなか実行に至れなかったのですが、6連休もあるので実家には悪いけど1泊くらいはいいかな?と思って決行することにしました。

 

金曜日に釧路を発ち、函館へ。

午前4時過ぎに出たので、昼には函館に到着。

七飯町に開店したばかりのラッキーピエロで昼食。チャイニーズチキン美味すぎ!

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翌日、9時半のフェリーに乗るべくフェリーターミナルへ。

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私にとって初めてのフェリー乗船でしたが、波が高く、ゆれまくって非常につらい大間までの1時間40分でした。

 

ヘロヘロの状態で大間にたどり着き、予約していたレンタカーを借りにジャパレン大間店へ(クルマをフェリーに載せると往復3万4千円!レンタカーを借りたほうが安かったので)。

予約していたのは日産ノートだったのですが、延長になったらしく、違うクルマが用意されていました。

それはピカピカのステップワゴン!

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ノートと同じ価格で良いというので、ありがたくお借りします。

 

大間からむつ市へ。途中、風間浦村の道が狭くてドキドキでした。

前を走っていたトラックが道路に迫る家の屋根にぶつかりそうでぶつからないテクニックを見せつけられながら走ります。

 

むつ市大畑で昼食。その後、妻の祖先の地であるむつ市関根の高梨へ。

なかなかの田舎道を走っていくと、集落が見えてきました。

 

今回は日程もないので、誰ともコンタクトを取らずにとりあえずお墓参りだけしようと思っていたのですが、なかなかお墓が見つからない!

しょうがなく、かつてお手紙の返事をいただいていた総本家の方に電話してみましたが、不在。むぅ・・・。

さらに、脇野沢にお住まいのこちらもお手紙の返事をいただいた本家の子孫の方に電話すると、「高梨の本家がそちらに向かいます」とのこと!!

 

しまった!何もおみやげ用意してないぞ!

 

ドキドキしながら10分ほど待つと、来てくださったのは60歳くらいのほんわかした女性。本家の奥さんで、ご主人はもう25年以上前に亡くなられています。

 

はじめましての挨拶をし、さっそく案内していただきます。

すごい坂を登りきったとことに墓地がありました!かなり旧い墓石です。

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う~む・・・やっとご対面できましたが、総本家から分家した山田善四郎(1824~1897)・みの(1824~1917)夫妻の戒名しか書かれていない・・・。

この名は、妻の高祖父であり、釧路に渡った山田菊松(1875~1934)の祖父母に当たります。

 

ただ祖父母といっても、菊松の父は畑中家からの養子である由蔵。母も舘家からの養女であるみゑ。

この善四郎・みの夫妻との血のつながりは戸籍謄本からは見いだせていませんでした。

 

この由蔵さんですが、明治19年式戸籍ではすでに籍におらず、詳細がまったくわかっておりません。

菊松の父欄には「離別養子由蔵長男」と書かれておりましたが、死別なのか離婚なのか・・・。

少なくとも墓石からは何もわからず無念です。

 

その後にも亡くなった方はいらっしゃるのですが、特に追加で名が彫られているようなこともなさそうでした。

 

ちなみに墓石を建立したのは山田留蔵(1868~1930)。善四郎・みの夫妻が44歳の時に生まれた初子です。

留蔵が生まれる以前から養子に来ていた由蔵は、血を継いだ跡継ぎが産まれたことで立場が無くなってしまったらしいことを聞いたことがあります。

 

由蔵の息子である菊松も、どういう立場で山田家で日々過ごしていたのでしょうか・・・?

釧路に渡った理由も何となく想像つく感じです。

 

ただ、家紋が釧路の山田家と同じ「丸に木瓜」であるのに驚きました。

総本家は「丸に三つ柏」という話を聞いており、本家もそうなのかと思っていたものですから。

 

・・・本家と総本家のお墓に手を合わせた後、墓地を一回り。

畑中家や舘(山田さんの話で、ここいらの舘さんは「たて」と読むことが判明)家の墓石を見てみましたが、特に目立った情報はありませんでした。

 

お世話になった山田さんと世間話をしばしさせていただき、ここいら一帯は水田農家が多いことを伺うことが出来ました。山田家もかつては稲を生業としていたそうです。

別れの挨拶をして高梨を離れ、今度は妻の高祖母の実家である杉山家の墓地がある田名部に向かいます。

 

つづく。

じーちゃんが新聞に載った!

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今日の北海道新聞朝刊。

母方のじーちゃんが載っていました!

 

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祖父・平野政次は、平野家の二男として、1922(大正11)年に当時の北海道斜里郡清水村大字止別(やんべつ)村で誕生。

祖父の兄である正治は1917(大正6)年に2歳で夭折していたため、祖父は実質平野家の跡継ぎとして育てられました。

 

1934(昭和9)年に小清水村立止別尋常小学校を卒業後、翌年に一家で樺太名好郡恵須取町大字上恵須取字布札へ移住。

新聞には「兵役で・・・」と書かれていますが、それはちょっと違うかな?

 

樺太での戦中に父と祖父を相次いで病気で亡くし、1939(昭和14)年に16歳の若さで平野家の家督相続をしました。

 

その後、兵隊の任務に就いたまま、樺太終戦を迎えます。

 

終戦の報は、基地に呼び出されて上官から「戦争に敗けた。あとはみんな健康に気を付けるように!」・・・という言葉だけで解散となったらしく、途方に暮れたそうです。

間もなく家財道具はロシア兵や日本に引き揚げる近所の人々に強奪され、貴重な平野家代々の財産はほとんど無くなってしまいました。

 

祖父は引き揚げまでの4年間ロシア兵に強制労働させられ、幾度となく殺られそうになりながらもなんとか生きて日本に戻ってきました。

 

その際に祖父曰く「税関で有り金全部盗られた」と言っていたお金が、63年の時を経て無事に本人の手に戻されたという記事でした。

 

・・・じーちゃんとは、会うたびに戦争の話をする決まり?になっております。

それがこないだイモ掘りをさせてもらいに行った時に、小清水町の広報に載っていた『税関で預かった財産を返還しています』という記事を見せられ、

「俺も多分(対象の財産が)有るんだ。手続き取ってみようと思う」と言っていたので、その時は「ふ~ん・・・」という感じだったのです。

 

それが、このような形で結果を見ることになろうとは。

珍しいパターンだったんですね。本人に直接返るというのは。

 

たとえそれが370円(それでも当時の価値は100倍くらい?)だったとしても、じーちゃんにしたらプライスレスなものだったんでしょうね。

 

ちなみに、じーちゃんは今でも愛車カローラを駆って網走に釣りに行ったり、木こり仕事を普通にこなしたりする元気なじーちゃんです。

 

とりあえずこの新聞はスクラップしとこう。