旧土地台帳請求の難しさ
家系を遡るという作業をするときに、参考資料としてはまず戸籍謄本が筆頭に挙げられます。
そして、戸籍謄本には及ばないものの、旧土地台帳というものも重要な資料として存在しています。
この旧土地台帳というのは、地域によってまちまちのようですが明治22(1889)年くらいから昭和30(1955)年くらいまでの、土地の所有者を記録した台帳です。
この台帳は法務局の管轄であり、誰でもどこのでも発行してもらえ、さらに手数料がかからないという素晴らしいものでありました。
記載されているのは、所有者・譲渡などの日付・地籍・税額・地目・・・などです。
私が出向くことができたのは釧路の法務局だけで、屈斜路の分厚い台帳を1枚1枚ドキドキしながらめくりましたが、菊地家は屈斜路の御料地(所有者は国)に入植したために土地は持っていなかったのです。当然ながら名前は1個もでてきませんでした。想像したとおりでしたが、やはりがっかりするものです。
他はすべて郵送で請求しました。請求するのに決まった様式は無いようですので、自分で作りました。ただ、この場合は地番を指定しなくてはいけませんので、「この集落の分を一通りみたい」といったことは不可能です。
現在ではこの旧土地台帳も「行政文書」としての扱いとなり、戸籍謄本と同様に家系調査という理由では発行してもらえない場合もでてきているようです。むぅ。
そんな背景もあり、早めにわかる範囲で発行してもらってはいたのですが、大きな壁がありました。
地番がわからない!!
私が知りうる地番は戸籍謄本によるもので、廃棄されていなければ最古が明治19(1886)年に作製されたものです。当時はほぼ「本籍の地番=住所」であったようですので、丁度旧土地台帳の作製が開始された頃の地番と同じであるはずでした。
しかし、この戸籍の地番というのが曲者で、実際の登記とは異なる表示となっていることが非常に多かったのです。そして、旧台帳は昭和30年頃まで使用されていたこともあり、昭和30年時点での地番表示がわからない場合、発行の際に「ありませんでした」といわれて終わってしまうのです。
例えば私の祖先の中では、戸籍が「青森県下北郡関根村○○番戸」とあれば、そもそも地番ではないですし、まったく登記上の地番が推測できません。
あと多いのは、「福島県西白河郡千田村○○番地」のような表示です。
千田村○○番地とあっても、村の下の「字」が不明なのです。その字の内のどの○○番地なのかがわからない場合はどうしようもありません。
この時、法務局の担当の方に「調べる術は無いでしょうか?」と聞きましたところ、「自治体に聞いてみては?」といわれ、自治体に聞いてみると、「わからないです」とのご返事が・・・。こういうことになった時の成功率は現在0%です。
あと気をつけたいのは、○○番地の分を請求したとします。しかし、○○番地-1号のものしか発行していただけなかった法務局もありました。同番地がいくつかに分筆されている場合は、1つの番地でも複数の号の台帳があります。「○○番地の全て」などの記入をしたほうが確実かもしれません。
無事に発行されたとしても、祖先がその土地を持っていたとは限りませんので、全然知らない地主さんの名前とかが載っていることも多々あります。
・・・というわけで、なかなか打率の低いものではありますが、ヒットしたときには戸籍謄本ではわからない当時の雰囲気が感じられる資料となります。
ちなみに下の画像は福島県東白川郡東舘村、菊地家の土地台帳です。戸籍と異なり、表記が「菊池」となっています。ミステリー!
反別反というのは面積。
0反5畝11歩を所有していたようです。
1反は10畝、1畝は30歩。
1歩は1坪なので、161坪の宅地を所有していたことになります。わりに広いのかな?
その下は森井家の知りたい地番が記載された戸籍謄本ですが、全然読めません。「明治26年6月17日 石川県江沼郡那谷村字菩提???番地より転住入籍ス」とあると思いますが、悪筆のうえ、さらには修正の跡があって何が何だか・・・。120年前の落部村戸籍担当者を恨みます~(*_*;
どなたか解読していただけないでしょうか?