真剣に家系探求

何かの縁で北海道に集まってきた祖先の歴史を少しづつ紐解いていきます。

つれづれなるまま戸籍名

これまで100通をはるかに超える量の戸籍を取得してきまして、その中には名前という重要な情報が記載されているわけです。

ここに記載されている名前ですが、江戸期の人物ですと、明治初頭に戸籍制度ができた時に役場に届け出た名前となっています。

この戸籍の名前というのは、それまでの慣習を大きく変えるものでありました。

たとえば戦国時代の人物にたとえますと、私の好きな武将・真田幸村だと「真田源次郎信繁」、のちに「真田左衛門佐信繁」という名前で、いちばん後ろにある「信繁」というのが真田幸村の本名みたいなものになります。

ただ、聞きかじりなので詳しくは省きますが、昔の慣習でその本名(諱=忌み名)は通常使われないものとなっていました。

周りの人たちは「源次郎さん」とか、部下の人たちだと「左衛門佐どの」とか呼んでいたと思います。

 

それなのに、明治4(1871)年に戸籍制度ができたとたん、どれか選ばないといけなくなったのですね。

真田信繁さんがもし明治の時代を迎えたならば、「真田源次郎」、「真田信繁」、「真田左衛門佐」、「真田幸村」と4つの中からどれかに絞らなきゃなんなかったのだと思います。

 

そんなわけで、私の祖先たちもめいめい悩み考えて?戸籍名を届けたのでしょう。※明治4年にすぐさま届けたわけではないようですけれど、便宜上これから先は明治4年に届け出たものとして年齢を換算します。

 

その時代を迎えた祖先の名前を眺めていると、やはりいろいろパターンがありますね。

6代前の祖先である菊地儀右衛門(1810~90)は、江戸時代にはおそらく「儀右衛門孝昭」という名だったと推察していますが、当時61歳の儀右衛門は「孝昭」の名を選びませんでした。

儀右衛門の兄と思われる「菊池友甫孝恒」も、「菊池友甫」を戸籍名としています。

天保14(1843)年生まれである友甫の息子は当時28歳でしたが、「政恒」という名で登録されています。伝説によると、父の名・友甫を継いでいたとのことなので、紛らわしいことからなのかなぁと思っています。

儀右衛門の娘婿は、近藤家から迎えた儀平(1844~97)ですが、儀平はほかに名前があったか不明です。戒名も「儀山良心居士」なので、推察不能

その儀平の実家は、福島県東白川郡上関河内村の庄屋さんでした。代々數右衛門をなのっており、文化8(1811)年生まれである最後の數右衛門の墓石には「近藤數右衛門藤原義冨」と記されており、戸籍名は代々の名ではなく「近藤義冨」(当時60歳)となっています。

 

話はかわりますが、戸籍に記載されている生年月日。

これが正解なのかはおそらく親か、聞かされていれば本人しかわからないものです。

北海道のオホーツク小清水町で生まれた私の母は、戸籍上6月10日が誕生日。

しかし、本当は5月の20日前後が本来の誕生日だったとのこと。

農繁期で役場になかなか行けず、やっと役場に行けた際に届けた便宜上の日が6月10日だったとのことでした。

 

そして高祖父の甥っ子である、北海道菊地本家の酉松という人物。

茨城県久慈郡宮川村下野宮出身ですが、てっきり酉年生まれなのかと思ったら、明治31(1898)年は戌年でした。でもその前年が酉年ですので、この酉松さんもホントは前年生まれで、役場に届けるのが遅くなったパターンなのかもしれません。

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そして転籍するたびに名前が変わるパターンもあります。

茨城県久慈郡生瀬村小生瀬出身である高祖母の父・石井庄衛門(1837~1902)。

私の持つ最古の明治19年式戸籍には長男・酉次郎(こちらは文久元年生まれのガチ酉年)のご隠居として記されています。当時59歳。

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しかし、明治29(1896)年に菊地家の近所(福島県東白川郡豊里村東舘舘本)に転籍してきた際には庄右衛門と変化。当時62歳。

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その2年後に退隠し、同じ本籍地のまま次男・鐡之助の戸籍に入ったのですが、同じ役場だったのにも関わらず「正右衛門」に変化。ここで65年の生涯を閉じています。

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そして、妻の祖母が生まれた山形県最上郡大蔵村の柿﨑家は、なぜか長男に「〇次郎」とつける習慣があった?ようです。

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妻曰く、もしかしてこれ以前に「〇太郎」と名付けていろいろ良くないことがあったのでは・・・?との推察。なるほど、そういうことあるかもしれません。

 

・・・と、いろいろつれづれなるままに書き綴らせていただきました。特に意味はないのです。朝早く起きてしまったので、せっかくだから。

 

そんなきのうは小学校の運動会!

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極寒だったので、本州のみなさまには不思議な光景かもしれない防寒フル装備での観戦でした。

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