真剣に家系探求

何かの縁で北海道に集まってきた祖先の歴史を少しづつ紐解いていきます。

近藤家、最後の望み

いよいよ台風が釧路に迫ってきている!

ニュース映像を見るにつけ、被害が最小限で済むように祈っているところです。

今回は避難勧告がたいへん多く出ていますね。

命に代わるものはありませんので、大袈裟なところもあるかもしれませんが正しい判断だったんじゃないかと思います。

 

 2008/05/13 福島県東白川郡上関河内村【近藤家】

 2009/09/04 我が家の家紋について【近藤家②】

 2011/09/10 高祖父のさらに父の実家

 2011/09/19 くぅ~・・・残念!

 

上記の記事に続き、また近藤家について。

 

前回、6代前の祖先である菊地儀平(1844~1897)の実家である上関河内村(現在の矢祭町上関河内)の近藤家をつきとめるため、家系調査に関してのご返事をいただけた近藤さんから委任状を受け取り、近藤家の除籍謄本を遡りました。

しかし、最古の明治19年式戸籍をもってしても、儀平の父である近藤勝右衛門の名はなく、もう自力での調査はあきらめかけておりました。

 

いや・・・希望はある!

 

近藤家の最古の戸籍のご当主は、嘉永6(1853)年に上関河内村・近藤義冨の二男として生まれ、近藤新右衛門の養子となっています。

例えば義冨が26歳のときの子であるとすれば、義冨は文政10(1827)年生まれ。あくまでも推測ですが。

もしかすると、その義冨が記載された戸籍があるかも知れない!

さっきの推測だと、明治19年戸籍が作成された1886年時点で59歳。

隠居とかで、次代の籍に「父」として存在しているかもしれません。

 

そして、年代をもう一度考えてみます。

 

私の祖先・儀平は弘化元(1844)年に近藤勝右衛門の五男として生まれています。

例えば長兄と20歳離れていたとすると、長兄は文政7(1824)年生まれとなります。

さきほど推測した義冨の年齢と近くなりました!

 

さらに、近藤家のこの年代で戸籍上判明している名前は、

勝右衛門、数右衛門、新右衛門、義冨。

 

義冨だけ「右衛門」がついていません。

 

今回委任状をいただいた近藤さんの祖先と伝わっている数右衛門は、明治2(1869)年時点で上関河内の庄屋を務めていました。

もしかすると庄屋格だった数右衛門だけは、戸籍の届出を通称ではなく韓で行っていた(韓が存在した)?

他の兄弟は通称しかなかったのかもしれません・・・。

 

だとすると、前回も書きましたが「数右衛門=義冨」なんじゃないかと想像するわけです。

 

推測の結果としては・・・、

近藤勝右衛門の長男が庄屋を務めた数右衛門義冨、その弟として新右衛門、そして三男、四男が居て、五男の儀平となるのではないだろうか?

 

ただ引っかかるところがあります。

前段の推測だと、数右衛門は庄屋を務めていた明治2年で40~45歳くらい。

庄屋って、何歳くらいの人がやっていたものなのでしょうかね?もちろんまちまちではあるんでしょうけど・・・。

40代っていうのは妥当なのだろうか?

 

とりあえず委任状を2枚いただいていたので、残りの1枚を使って義冨の戸籍を請求してみました。

来週の半ばには結果がわかると思います。

義冨さんが長生きしていたのを切に願うばかりです。

義冨さんの父欄に「勝右衛門」の名が記載されているのを祈っています・・・。