真剣に家系探求

何かの縁で北海道に集まってきた祖先の歴史を少しづつ紐解いていきます。

福島県東白川郡矢祭町あたりの姓

家系のインデックス

 

姓(苗字)といえば、地域によって特色があるのが面白いところです。

 

たとえば、私のイトコは「上野山」という姓。

わりに珍しい姓なのではと思っておりましたが、電話帳サイトなどを確認してみると、イトコの居住地である和歌山県有田市では一番多い姓だったりします。

 

また、私の伯母の旧姓は「雪下」。

かなり珍しい姓のようで、伯母の父の出身地である北海道弟子屈町、そして隣の小清水町に数件あります。

どうやら由来は鎌倉市雪ノ下だという由緒正しいきれいな姓。

今は鎌倉を離れて多くは福島県大沼郡金山町にお住まいのようで、おそらく伯母の家も北海道入植前はそこいら辺りに住んでいたのでしょうね。

 

そして、菊地家のルーツである矢祭町にも特色が。

一番多いのは「鈴木」さんなのですが、まず多いのが「菊池」さん。町では2番目に多い姓で、約12%を占めております。

そして「金沢」さん、「藤田」さん、「佐藤」さんと続くベスト5。

 

県をまたいで、お隣の茨城県久慈郡大子町にも似たような傾向があり、矢祭の1位である「鈴木」さんは4位、2位の「菊池」さんはトップ。3位の「金沢」さんは21位ですが、4位の「藤田」さんは3位、5位の「佐藤」さんは7位となっています。

 

そして矢祭の特徴的な姓を挙げていくと、

古市、古張、陣野、陳野、塙、斑目(まだらめ)、緑川、圷(あくつ)といったところでしょうか。

古張姓は矢祭町長、そしてお笑いタレントである「あばれる君」の本名だったりします。

上記の姓は、町会議員さんにも多いですね。町史にもよく出てくるお名前ですし。

 

変わって、矢祭と大子で共通しているやや多めの姓を挙げていくと、

益子、増子、高信、小室、佐川、石井、本田、本多といったところ。

苗字研究科の高信幸男先生は、ここ大子のご出身です。

石井という姓は高祖母の実家ですが、かつて探求で訪れた際、大子町の小生瀬付近に多すぎてあきらめた経緯があります。

 

そして益子さんは、大子の益子民部左衛門という方が菊池家の戸籍上に出てきます(高祖父の伯父にあたる菊池政恒の妻・ウタの父)が、徳川光圀公(水戸黄門)が歌の会を開催する会場となった家だそうです。

以下大子町史の引用ですが、

「元禄九(1696)年八月にも光圀は飯村家を訪れ、清音楼において詩歌の会を催した。十九、二十日と両日にわたって行われたが、このときは光圀が示した題にしたがって詩歌をつくるという趣向を凝らしたものであり、楼上の雅会さかんなさまがしのばれる。このあと二十四日には八溝山について詩歌をつくるという会を催し、二十六日には再び清音楼で詩歌の会が開かれている。翌二十七日には大子村益子民部左衛門宅で詩歌の会が催され、光圀は武弓山(水府村武生山)の神霊をたたえる詩をつくっている。」

・・・とのこと。年代が150年ほど隔たりがありますが、おそらく世襲の名なのかと思われます。ウタの父である民部左衛門は、慶応元(1865)年時点で大子村の山横目を務めていますが、明治元(1868)年10月、弟の勘介とともに天狗党との戦闘で戦死を遂げています。

 

すこし話が逸れましたが、私の知る戸籍では矢祭と大子は婚姻や養子縁組が多いので、県そして国(磐城と常陸)、さらには藩(棚倉藩と水戸藩)が違えど、あまり関係なかったのかな?という感じを受けました。

 

以上は各種電話帳サイトを参考とさせていただきました。感謝いたします<(_ _)>

どこの町にもこういった特色のある姓があるのでしょうから、ちょっと調べてみると面白いかもしれません(#^.^#)

 

なお、ここいらの地域から、菊地家や藤田家と同じくして屈斜路に入植したと思しき家があります。

屈斜路墓地には小浜さん、益子さん、鴨志田さん、金沢さんといった、矢祭や大子に多い姓のお墓がありますので、おそらく同志ではなかったかと想像しています。

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