真剣に家系探求

何かの縁で北海道に集まってきた祖先の歴史を少しづつ紐解いていきます。

釧路の人に限り、懐かしいと思われそうな記事

今回は、ぜんぜん家系と関係ないお話です。

 

かつて23万人も人が居たため、30万人くらいまで対応できそうな街として形成された釧路市

いまは阿寒町音別町の面積が加わったにも関わらず16万人台の人口となってしまいましたので、すっかり余裕の広さです。みんな移住してきてください。もしくはナウなヤングに受けそうなテーマパークが進出してくれても良いです。

…と、欲望を吐いてしまいましたが、話を戻します。

 

私は昭和53年に釧路市のほぼ東端である白樺台で生まれ育ち、中学3年生で網走市へ転校。

高校を卒業してからまた舞い戻ってきましたが、高校時代の私にとって釧路といえば郷愁の対象であったのです。

 

そんな釧路の街並みもずいぶん子どもの頃と変わってしまいました。

 

どこからか怒られるかもしれませんが、昭和58年お正月の新聞より、かつて釧路には無くてはならなかった存在について綴らせていただきたいと思います。

 

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まずは石黒ホーマ。今はホーマックとして、本州にも進出しておりますね。

石黒ホーマ自体のマークはこんなんだったかな?という感じですが、右端のピノキオが懐かしいです。少なくとも千代ノ浦の石黒は、このピノキオが看板に描かれていました。

なお、この記事中の「福工具箱」にとてもそそられます。ホントにこんなデザインの工具箱使ってたら一目置かれそうです。

 

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そして今井ランド。

クリスマスプレゼントのおもちゃがこの包装紙だったのは、サンタさんも御用達だったということでしょう。おもちゃはマリオネット今井だったかもしれませんが。

 

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本州製紙(今の王子製紙)と、その社宅の方々御用達だった本州ハイマート。

本州製紙の熱を社宅に持って行っていたことと、本州からの転入者(の荷物)が多かったということから、コードネームGが大量に生息していたそうです。

ハイマートにはゴキブリホイホイが売っていたそうな。

外に出たら寒さで自然に死にますけどね。

寒さに耐えられるように進化しなくて良かったですよ。

余談ですが、私は未だに生きているGを見たことがない幸せな人生を送っています。

 

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伯父が勤めていたニシムラ。食パンといえば、いつもここのでした。銘菓のユカタンとかもありました。

潰れるギリギリ前に、伯父は察して脱出。

 

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私が住んでいた白樺台ではおなじみだったセオさん。野球帽はいつもここで買っていたような記憶があります。

最後は一店舗ずつなくなっていったという寂しい思い出・・・。

 

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んもう、休日といえば私はここ、太平洋スカイランドでした。

太平洋炭鉱の福利厚生施設ですが、ぜんぜん炭鉱とは関係ない父ちゃんと2階の喫茶店に行き、いつも週刊少年ジャンプを読んでいました。

ボウリング場やプール、ゲームセンター、銭湯、そして夏祭り。

ワクワクすることがたくさんありましたね。

 

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丸ト北村は、3歳下の妹が産まれた時に私が居た場所らしいです。丸トのゲームセンターでムーバーに乗って遊んでいたそうな。

その右の釧路フードセンターは白樺台の子どもにとってはよくわかんないです。

 

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駅前一等地にあった金市館。

ここは母ちゃんが一張羅を買いに行く場所という認識でした。

子ども的にはつまんなかったかも。

 

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スーパーまつだは、セオとともに最後までがんばってくれましたね。

けっこうな支店があったようですが、中園くらいしか記憶にない・・・

桜ケ岡にあったっけ?

 

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街中にあったスーパータイスイは根室の大洋水産が経営していたんだったかな?。

鳥取や愛国は、私の子どもの時分は未知の世界だったので、わかんないっす。

まちなかの地下にあったところはお馴染みでしたが、看板のマークが怖かった記憶があります。

このタイスイのロゴマークは何がモチーフなのかしら?

 

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街の中にあったマルカツは、緑の階段を下っていったところでお茶碗とかを買っていましたね。

あとはおにぎり屋さんがあって、すんごく美味しかった思い出。

 

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くしろデパートは、じつはあんまり記憶になかったり。

平成になったころ、KOM(コム)になりました。

 

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そして、私的にザ・モースト・ファンだった長崎屋。

語りたいことは山ほどありますが、釧路初の中古ファミコンショップやブックスいせやなどが思い出深いですね。

ファミコンカセットの多くは、ここで買っていました。

この記事のころはまだファミコン前夜だったため、カセットビジョン13,500円が一番メインに記載されていますね。次はいまだにロングセラーの黒ひげ危機一髪ですか。

 

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十條サービスセンターではなくなったあとも、建物そのままでビッグハウスとして営業していましたが、ついこないだ建物がすべて取り壊されました。寂しい。

十條時代の思い出は実はあまりなかったりします。白樺台からは遠いですからね。

そして、よくよく左下をよく見ると、おそらく「十條しろやま店」と書いてあります。城山にもあったんですね。どんな形態で、どこいら辺にあったのかしら?

 

最後、こんなのがありました。

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答えはここに載ってないのでわかりませんが。

 

・・・というわけで、釧路市民以外置いてけぼりでごめんなさいな記事でした。

とりあえず見た感じ元旦はどこも開いてないので、現代もそうあって欲しいと思うわけです。みんな元旦くらいは休もうよ。