真剣に家系探求

何かの縁で北海道に集まってきた祖先の歴史を少しづつ紐解いていきます。

戸籍への記載事項が変化する不思議

家系のインデックス

 

令和最初の年の暮れ。いよいよ今日は仕事納めの日です。

今年は数え42歳の本厄だったので、年を越せることになんだかほっとしています。

 

さいきん、自腹で同僚の家系をさかのぼらせてもらっていたのですが、その中で特筆?すべき事項がありましたのでご紹介させていただきます。

 

同僚の母系は、釧路に来る前は利尻島に居たとの話でして、実際に釧路市の戸籍を見ると、利尻富士町(当時は東利尻町)から転籍しておりました。

 

そこで利尻富士町に、さかのぼることができるまで除籍を請求。

 

当時は鴛泊(おしどまり)村だった利尻富士町の最古の戸籍には、明治34年利尻郡仙法志村より転籍」とありました。

 

ちなみに利尻島というのは、北海道のここです。

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この小さな島ですが、東側は利尻富士町、西側は利尻町と別れております。

仙法志村は現在の利尻町の地区。

島がひとつの町であれば一発でいけたのですが、ここは利尻町に請求です。

 

すると、今度は「明治30年利尻郡本泊村番外地より転籍」との記載。

仙法志には4年しか居なかったのですね。

本泊村は現在の利尻富士町

またもや利尻富士町に請求しなくてはなりません。

 

ちなみに、利尻島へ行く方法はフェリーしかありません。

海が時化るとその日は諦めないとならないのです。

もちろん郵便物も同じです。

なので、時間がかかるんですね。

 

同時に、ここまでで判明している戸主(同僚の高祖母)の父親の籍と名前が判明したので、請求をしてみました。

なお、その父親については「福井県坂井郡坂井浦 北山仁助」となっています。

 

ところが、調べてみると「坂井浦」なんていう地名はありません。

いまでいうと三国港のあたりがあやしいと思い、坂井市に請求をかけてみましたが、北山仁助については存在しないとの返答でした。

 

むむぅ、なんだか怪しくなってきたぞ。

しかも、仙法志の戸籍には「明治19年入籍、明治10年相続」と書かれています。

 

戸主は「薮野シモ」。前戸主は「亡夫 薮野佐太郎」。

 

時系列で並べようとしても、非常に困難な状況です。

 

シモさんが佐太郎さんと結婚して入籍。佐太郎さんが亡くなってから相続。

そういう流れが自然なのですが、入籍と相続が逆転していますし・・・。

 

そして利尻富士町よりついに届いた本泊村の戸籍。

あっさりと謎が解かれました。

明治9年 福井県坂井郡米ケ脇浦 北山仁助三女入籍」

明治10年相続」

明治30年 坂井郡雄島村米ケ脇より転籍」

 

・・・この戸籍が出てくるまでに1か月以上かかりました。

本泊村には4か月ほどしか居らず、すぐに仙法志に転籍していました。

在籍4か月だけの戸籍でしたが、これがないとどうにもなりませんでしたね。

 

 

明治9年だった入籍が明治19年に変化。

坂井郡米ケ脇浦だった北山家の籍が坂井郡坂井浦に変化。

 

仙法志村に転籍した際、どのように手続きをしたかは想像しかできませんが、口伝えとかで行ったのであれば、こんなことも起こりうるのかもしれないですね(´Д`)

 

そしてこれを見ると、シモさんは佐太郎さんと結婚してわずか9か月で未亡人になってしまったようです。さぞやつらかったでしょう。

姓はそのまま薮野を名乗っています。ただ、戸籍では薮野、藪野、籔野の三通りの書き方が見られるため、どれがホントなのか混乱します。

 

なお、この薮野家。

これも想像ですが、米ケ脇浦という地はその名のとおり海沿いの地区。

そして北前船の寄港地である三国港とも目と鼻の先でした。

 

薮野姓は関西に割と多めに分布しているため、もともとは関西住まいで、北前船をきっかけとして越前に移住し、北前船ブイブイいわせていたのではないでしょうか。

北前船が衰退してきた明治中期、夫は既に亡く、もしかすると誰かを頼ってニシンで潤っていた利尻島へと移住を決意したのかもしれませんね。

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左の記載が右のように変化!