妻の祖母の実家・柿崎家の年表
前々回に綴った柿崎家。年表に起こしてみまして、せっかくなので載っけてみます。
赤字が本家・柿崎五三郎家、黒字が祖母の実家・権兵衛家、青字が権兵衛が養子として迎えた五三郎の長男・朝次郎家の事柄となっています。
和暦 | 西暦 | 出来事 |
慶長5 | 1600 | 越後国柏崎の武将・柿崎景作、慶長出羽合戦において上杉景勝軍より出陣し、戦死。遺児となった兄弟のうち、弟が山形県最上郡南山村塩集落に落ち延び、塩柿崎家の祖となる(諸説のうちのひとつ) |
文政9 | 1826 | 1月11日、南山村・(便宜上初代)柿崎五三郎の長男・五三郎誕生 |
弘化3 | 1846 | 8月23日、初代五三郎の三男(後の権兵衛)誕生 |
不詳 | 五三郎が南山村・三原太兵エの次女・ウノと婚姻 | |
嘉永元 | 1848 | 9月9日、五三郎(22)とウノ(18)の長女・ハツ誕生 |
安政2 | 1855 | 12月13日、五三郎(29)とウノの長男・朝次郎誕生 |
不詳 | ハツが南山村・柿崎兵三郎の次男・栄助を婿養子に迎える | |
慶応元 | 1865 | 5月20日、栄助(24)とハツ(16)の長男・浅吉が誕生 |
不詳 | 五三郎の三男が南山92・柿崎権兵エの養子となり、権兵衛を襲名。同村・柿崎兵三郎の二女・マサと婚姻 | |
慶應2 | 1866 | 8月26日、権兵衛(20)とマサ(18)の長女・ケサ誕生 |
明治2 | 1869 | 2月12日、権兵衛(22)とマサ(20)の二女・キン誕生 |
明治5 | 1872 | 3月21日、権兵衛(25)とマサ(23)の三女・サク誕生 |
明治7 | 1874 | 10月22日、権兵衛(28)とマサ(26)の四女・フテ誕生 |
明治11 | 1878 | 9月9日、権兵衛(32)とマサ(30)の長男・運次郎誕生 |
明治14 | 1881 | 12月5日、権兵衛(35)とマサ(33)の五女・ヤス誕生 |
明治15 | 1882 | 権兵衛(36)が長女・ケサ(16)の婿養子として、兄・五三郎(56)の長男・朝次郎(26)を迎える |
9月6日、朝次郎(26)とケサ(16)の長男・兵蔵誕生 | ||
明治16 | 1883 | 6月1日、浅吉(18)が南山村士族・秋江傳の三女・テツ(15)と婚姻 |
11月5日、権兵衛(37)とマサ(35)の次男・円蔵誕生 | ||
明治17 | 1884 | 4月22日、浅吉(18)とテツ(16)の長男・金次郎誕生 |
明治18 | 1885 | 1月30日、朝次郎(28)とケサ(18)の長女・サノ誕生 |
明治20 | 1887 | 11月24日、朝次郎(31)とケサ(21)の次男・円治誕生 |
明治21 | 1888 | 8月24日、権兵衛(42)とマサ(40)の六女・トミヨ誕生 |
明治24 | 1891 | 4月20日、権兵衛(45)、幅92番地の宅地127坪を、柿崎弥左衛門へ売り渡す |
明治25 | 1892 | 7月3日、権兵衛(46)とマサ(44)の七女・トメノ誕生 |
明治26 | 1893 | 4月11日、サク(21)が南山・早坂熊蔵と婚姻 |
4月15日、円蔵(9)が夭折 | ||
明治27 | 1893 | 1月21日、朝次郎(37)とケサ(26)の三男・金蔵誕生 |
明治30 | 1897 | 5月12日、朝次郎(41)とケサ(30)の四男・庄吉誕生 |
12月31日、フテ(23)が冨田・佐藤長吉と婚姻 | ||
明治31 | 1898 | 3月24日、権兵衛(50)が南山92から89へ転籍 |
明治32 | 1899 | 1月5日、朝次郎(43)とケサ(32)の二女・トモヱ誕生 |
明治34 | 1901 | 2月4日、朝次郎(45)とケサ(34)の五男・林蔵誕生 |
明治35 | 1902 | 1月20日、運次郎(23)が木遠田・森栄助の三女・タケノ(18)と婚姻 |
1月20日、サノ(16)が南山62-5・柿崎三蔵と婚姻 | ||
3月12日、運次郎(23)とタケノ(18)の長男・作次郎誕生 | ||
明治36 | 1903 | 4月7日、トモヱ(4)が夭折 |
5月24日、朝次郎(47)とケサ(36)の六男・運藏誕生 | ||
7月1日、ヤス(21)が南山・柿崎運作と婚姻 | ||
明治37 | 1904 | 11月20日、運次郎(26)とタケノ(21)の長女・サクヱ誕生 |
明治38 | 1905 | 11月6日、朝次郎(52)とケサ(41)の七男・仁吉誕生 |
明治39 | 1906 | 11月10日、運次郎(28)とタケノ(23)の二女・クニヱ誕生 |
不詳 | 金次郎と清水・國分金五郎の三女・ヨシヱが婚姻 | |
明治41 | 1908 | 10月16日、朝次郎(52)一家が南山409へ分家 |
明治42 | 1909 | 4月5日、運次郎(30)とタケノ(25)の三女・サダエ誕生 |
明治43 | 1910 | 11月11日、浅吉(45)が逝去、金次郎(26)が家督相続 |
明治44 | 1911 | 3月12日、運次郎(32)とタケノ(27)の四女・キクエ誕生 |
7月6日、五三郎(85)が逝去 | ||
大正2 | 1913 | 11月11日、トメノ(21)が南山・柿崎與作と婚姻 |
大正3 | 1914 | 9月11日、運次郎(36)とタケノ(31)の五女・ヒテノ誕生 |
大正4 | 1915 | 8月2日、大蔵村役場が全焼。戸籍再製の際、姓が柿崎→柿﨑へと変化する |
大正6 | 1917 | 3月24日、権兵衛(70)が隠居 |
10月22日、運次郎(39)とタケノ(34)の次男・作治誕生 | ||
大正8 | 1919 | 1月29日、南山89番地にて作次郎(16)と南山・中島元治の長女・モトエとの間にウメ誕生も、モトエは逝去 |
2月2日、ウメ(0)が夭折 | ||
大正9 | 1920 | 7月24日、作次郎(18)が平林・髙山市助の三女・サクヱ(18)と婚姻 |
大正10 | 1921 | 1月4日、権兵衛(74)、幅89番地の畑を運次郎(42)へ譲渡 |
3月16日、作次郎(19)とサクヱ(19)の長女・チヨ誕生 | ||
大正14 | 1925 | 1月6日、サクヱ(20)が現:新庄市松本の大場源米と婚姻 |
8月27日、作次郎(23)とサクヱ(23)の長男・了一誕生 | ||
大正15 | 1926 | 3月27日、クニヱ(19)が合海・小関一雄と婚姻 |
昭和2 | 1927 | 3月29日、作次郎(24)とサクヱ(24)の次男・惣太郎誕生 |
昭和4 | 1929 | 9月21日、権兵衛(83)が逝去 |
11月3日、作次郎(27)とサクヱ(27)の二女・ツエ子誕生 | ||
昭和5 | 1930 | 9月1日、サダエ(21)が東京深川・荒井藤松と婚姻 |
昭和6 | 1931 | 12月17日、運次郎(53)、幅89番地を仙台市の伊澤氏に売却 |
11月10日、釧路市にて作次郎(31)とサクヱ(31)の三男・榮誕生 | ||
昭和8 | 1933 | 2月10日、釧路市にて、ツエ子(3)夭折 |
昭和9 | 1934 | 1月16日、マサ(85)が逝去 |
昭和11 | 1936 | 9月25日、キクエ(25)が赤松・八鍬新吉と婚姻 |
昭和14 | 1939 | 6月28日、ヒテノ(24)が南山・門脇定治と婚姻 |
8月15日、チヨ(18)が釧路市にて森井勝雄(26)と婚姻 | ||
昭和15 | 1940 | 9月10日、運次郎(62)一家が北海道釧路市へ転籍 |
昭和16 | 1941 | 5月5日、タケノ(57)が釧路市にて逝去 |
昭和18 | 1943 | 7月24日、運次郎(64)が釧路市にて逝去 |
昭和19 | 1944 | 11月10日、キン(75)が南山・早坂家にて逝去 |
これによると、昭和4(1929)年に権兵衛が亡くなり、その同年にツエ子さんが生まれた際はまだ南山に居たようですが、昭和6(1931)年に南山の土地を売却。昭和8(1933)年にツエ子さんが釧路市において夭折しています。
すると運次郎が釧路市に移住した時期は、権兵衛が亡くなって2年ほど経ち、昭和6年に土地を手放したあたりかしら・・・?
この時点で権兵衛家は、南山から消滅したということに。
それから90年近く経っているわけですから、権兵衛家のことを知る方がいらっしゃらないのもうなずけますね。
運次郎の子どもたちは大蔵村に残ったり、釧路に来たりとバラバラのようです。
転籍はやはり遅くなる傾向にあるようですね。
権兵衛さんのお墓はいったいどこに・・・?