同じ名前の存在
戸籍を手繰っていると、一族で同じ字を使っている家によく遭遇します。
うちの菊地家は「幸」の字を多用していたり、母方平野家では長男に「治」、次男以降に「次」の字を使用するようになっていたりしました。
そんな中、「ありゃ?同じ名前だ~」ということもあります。
それは親御さんにとって、いろいろな意味が含まれているのでしょう。
たとえば、妻の高祖母の父・杉山治郎左衛門(1843~1911)は、父・治郎左衛門と同じ名です。
ただ、これは明治5(1872)年に壬申戸籍が編成された際の名前かと想像しますので、その時、息子の治郎左衛門は29歳。
きっと幼少時もしくは実名は異なる名前で、戸籍編成時に治郎左衛門で登録したのではないかと思います。
そして、祖先の名をつけるケースもあります。
左の健三(1841~1904)さんのひ孫が右の健三(1913~1969)さん。
おそらく康孝さんは、尊敬するおじいちゃんの名前を長男につけたのではないかと感じますね。
戸籍ではないですが、母方祖母の新潟皆川家は江戸時代のころ、代々皆川新右衛門を名乗っておりました。屋号も兼ねていたようですし、そういうお宅も多かったでしょうね。
そして、ちょっと雰囲気が異なるのがこの森長右エ門さん。
栄助さんの父・森長右エ門は、長右エ門さんの長女・キヨさんのお婿さんというように読み取れます。
お婿さんに来た時、襲名したのかもしれませんね。婿の長右エ門さんは戸籍編成以前に亡くなっているので想像でしかないですけれど。
そんな折、ひとつの疑問が浮かんできました。
同じ名前の別人のことです。
明治22(1889)年に町村制が施行される前、日本には71,314の村があったと伝わっています。
いまでいう大字や「○○市○○町」といった小規模、今でいうと町内会の大きさくらい?の区域でした。
そんな狭いコミュニティで、同姓同名の人が居たのかなぁ?という疑問です。
たとえば明治28年に○○甚吉という人が亡くなっている(この方については名前と没日しかわからないですが、結婚はしている年齢で、亡くなった時点で妻は24歳)のですが、明治38年に生まれた同じ村落の同姓(この地区では珍しい姓)の子どもに同じ甚吉という名がつけられているのです。
これは、同じ一族(兄とか弟とか甥とか)が甚吉のことを惜しがって、またはあやかって同じ名をつけたのかなぁ?といったところ。
まったく違う家の人で、もともと甚吉のことを知っていて付けたのであればそれほどの人物だったのかもしれませんが、甚吉が(おそらく)若くして亡くなっていることから、縁起を担いで甚吉と命名するかは素直に無いかなぁと思っているところです。
もちろん事情は千差万別でしょうし、今の感覚で推し量ることは難しいですね。
タイムマシンができたら当時の方々に命名の由来を聞いてみたいです。