まだお盆じゃありませんなぁ
ひさしぶりに家族全員が休みだったきのう、私の父方・菊地家(弟子屈町)&母方・平野家(小清水町)へとお墓参りと顔見せに行くことができました。
最初は、菊地家の長老である祖父の末弟宅へ顔見せに。
戸籍上は大正14(1925)年正月生まれ、御年94歳の大叔父。
ホントはその前年生まれだったそうですが、冬だし役場が遠かったので、翌年生まれにされちゃったと言うことを初めて聞きました。
腰の骨を折っちゃったようですが、それ以外はまだまだ元気!
毎年1~2度しか会えませんが、いつも元気で迎えてくれるのでうれしいです(*^-^*)
しかもきのう訪問している間に、八王子に住むお孫さん(私の再従姉妹)から、四男(第四子)が元気に産まれたとの吉報(LINEで)!
大叔父に曾孫が増えたと知る瞬間に立ち会えました(≧▽≦)
次に、父の長姉・野呂家(前回のブログで書かせてもらった、国学院久我山高マネージャーの祖父母)を訪問するもお留守。
そしてお墓参り以外の目的だった、友人の娘さんの入学祝いを渡すというミッション。
短大の友人ですが、のちに私のはとこ(祖父の次弟の孫)を妻として迎えたため、今や近しい親戚。
娘さんが入学して、もはや4か月以上が経過してしまいましたが・・・
家に行ってもいなかったので電話してみると、旧勤務地の摩周丘幼稚園にいるとのことで向かってみました。
長年摩周丘幼稚園に勤務していましたが、認定こども園化により保育園に統合されてしまい、もうすぐ摩周丘幼稚園の建物は取り壊すとのこと。
弟子屈の多くの子どもたちが巣立った幼稚園。寂しいでしょうね。
続いてお墓参りへ。
もともと屈斜路村民だった菊地家は屈斜路にお墓がありますが、祖父が家を出てしまっているため、新たに鐺別にお墓を建てています。まずは鐺別へ。
なんて書いてあるの?と聞かれて、「なむしゃかむにぶつだよ」。
どういう意味なの?と聞かれて、「・・・(わかんない)」。
さぁ、次は屈斜路です。
いつもスズメバチやアブの襲来でクルマのドアや窓すら開けられない状況ですが、今年はイケました!
そして小清水へと向かいます。町に入ってすぐにあるお墓をお参りに行ったあと、平野家へ。
今はイトコが後を継いで畑作農家を営んでいますが、今年は天気が良くて小麦の刈り取りが予定通り進んだそう!
お盆は休めそうな感じらしいですが、きのうは佳境だったためイトコとは会えませんでした。
いつも野菜をたかってしまっておりますが、おじさんやおばさんやイトコががんばってくれているおかげで、私も「田舎」がある人間でいられる気がします。
イトコの娘(2歳)とじいちゃんの葬式の時以来で会ったのですが、歩いてる(あたりまえ)~!
今度はのんびりとイトコに会いたいものです。
明日からがお盆ですが、カレンダーの都合でみんな今年はお墓参り早いんでしょうね。
<きょうの家紋>
私の6代前ばあちゃん、菊地ヤス(1813~99)の父は藤田傳五右衛門。菊地家と藤田家は矢祭東舘にてお隣同士で住んでおりました。
その藤田家の家紋は「丸に剣片喰」だと思っていたんですが、写真を改めて見返すとなんだか雰囲気が違う気がしてきたのです。
剣の部分が細い・・・
調べてみると、どうやら「丸に姫路剣片喰」という紋があるらしいのです。
剣の部分が細いですね。
この紋については、ネットで見てみても情報が拾えない!情報ギブミー!
・・・あたらめて調べてみると、この姫路片喰紋からは、酒井氏という一族が浮かび上がってきました。
そして、太田亮氏の姓氏家系大辞典のサカイ項の7によると、
片喰紋を使用していた新田氏流の酒井氏についてなのですが、九州に行って菊池武光と行動を共にしたような記述が!
肥後の菊池氏は矢祭菊地家のルーツと伝わっていますが、早くから武士団を結成した菊池氏の分流として、藤田という一族もあったとの記述もネット上に見つけました。
もしかすると、肥後時代から菊地家と藤田家は繋がりがあったのかも・・・
なんだかスケールが大きくなってしまった。。。